2018.4.13

カテゴリー │四代目雑記

2018.4.13
前回の記事の続き。

「ここの色を黒一色より赤の線を入れよう」

一面黒だと1時間で終わる作業

黒一面の中に赤の線を入れると1時間30分で終わる作業

この赤い線が

ただの装飾(注文主からのオーダーも無い)なら余計な30分

この赤い線が

喫水標として使う為の線なら"こだわり"

芸術的表現としてのこだわりというのは

勿論あるのは大前提にお話ししてます。

船大工のこだわりは芸術性<合理性に

なる気がします。

なんなら

合理性=芸術性と言ってもいいかもしれません。

左右対称で甲板の傾斜も前から後ろまで

ぴったりいってたりすると凄く美しいと思っちゃう。

長くなりましたが何が言いたいか。

越來家の考え方が

棟梁一人だと100だとする。

手元の私が最近やっと10くらいだとすると

二人合わさると110になる。

手元の私が未だ若い頃はマイナスなので

棟梁の100が私の所為で

90になったりしちゃうんです。

これは技術的にというより時間の方が大きいですが

注文を受けて造る以上、技術どころか

時間にも妥協はしたくありません。

どうやって後継を育てるかなると

棟梁→本番で作業を見せる  

手元→見た作業を就業外で何かしら真似るの繰り返し

それを見て

いけると判断した棟梁→その作業を本番でやらせる

その時間的ロスは手元のマイナス要素。

それを回収する責任が棟梁にはある。

さて、話し戻ります。

つまりそのたくさーーーーんある責任のある中で

私、手元の責任て微々たるものなんですよ。

棟梁が完璧と思う到着点がどこにあるのかは

私にはわかりませんが

一人でできる穴をあける作業をわざわざ2人でやる

というそれだけの事に

昨日や今日の記事に書いたような

斯様な棟梁の重圧や、

俯瞰して見た時に極めて合理的な要素が

詰まっているんです。

と言いたかった四代目です。

"一人でできる"ということにこだわるのは

ただの"頑固"ではないかい?

と思うのです。

2018.4.13四代目 ゆーき



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