2018年04月13日17:21
前回の記事の続き。
「ここの色を黒一色より赤の線を入れよう」
一面黒だと1時間で終わる作業
黒一面の中に赤の線を入れると1時間30分で終わる作業
この赤い線が
ただの装飾(注文主からのオーダーも無い)なら余計な30分
この赤い線が
喫水標として使う為の線なら"こだわり"
芸術的表現としてのこだわりというのは
勿論あるのは大前提にお話ししてます。
船大工のこだわりは芸術性<合理性に
なる気がします。
なんなら
合理性=芸術性と言ってもいいかもしれません。
左右対称で甲板の傾斜も前から後ろまで
ぴったりいってたりすると凄く美しいと思っちゃう。
長くなりましたが何が言いたいか。
越來家の考え方が
棟梁一人だと100だとする。
手元の私が最近やっと10くらいだとすると
二人合わさると110になる。
手元の私が未だ若い頃はマイナスなので
棟梁の100が私の所為で
90になったりしちゃうんです。
これは技術的にというより時間の方が大きいですが
注文を受けて造る以上、技術どころか
時間にも妥協はしたくありません。
どうやって後継を育てるかなると
棟梁→本番で作業を見せる
手元→見た作業を就業外で何かしら真似るの繰り返し
それを見て
いけると判断した棟梁→その作業を本番でやらせる
その時間的ロスは手元のマイナス要素。
それを回収する責任が棟梁にはある。
さて、話し戻ります。
つまりそのたくさーーーーんある責任のある中で
私、手元の責任て微々たるものなんですよ。
棟梁が完璧と思う到着点がどこにあるのかは
私にはわかりませんが
一人でできる穴をあける作業をわざわざ2人でやる
というそれだけの事に
昨日や今日の記事に書いたような
斯様な棟梁の重圧や、
俯瞰して見た時に極めて合理的な要素が
詰まっているんです。
と言いたかった四代目です。
"一人でできる"ということにこだわるのは
ただの"頑固"ではないかい?
と思うのです。
四代目 ゆーき
2018.4.13
カテゴリー │四代目雑記
前回の記事の続き。
「ここの色を黒一色より赤の線を入れよう」
一面黒だと1時間で終わる作業
黒一面の中に赤の線を入れると1時間30分で終わる作業
この赤い線が
ただの装飾(注文主からのオーダーも無い)なら余計な30分
この赤い線が
喫水標として使う為の線なら"こだわり"
芸術的表現としてのこだわりというのは
勿論あるのは大前提にお話ししてます。
船大工のこだわりは芸術性<合理性に
なる気がします。
なんなら
合理性=芸術性と言ってもいいかもしれません。
左右対称で甲板の傾斜も前から後ろまで
ぴったりいってたりすると凄く美しいと思っちゃう。
長くなりましたが何が言いたいか。
越來家の考え方が
棟梁一人だと100だとする。
手元の私が最近やっと10くらいだとすると
二人合わさると110になる。
手元の私が未だ若い頃はマイナスなので
棟梁の100が私の所為で
90になったりしちゃうんです。
これは技術的にというより時間の方が大きいですが
注文を受けて造る以上、技術どころか
時間にも妥協はしたくありません。
どうやって後継を育てるかなると
棟梁→本番で作業を見せる
手元→見た作業を就業外で何かしら真似るの繰り返し
それを見て
いけると判断した棟梁→その作業を本番でやらせる
その時間的ロスは手元のマイナス要素。
それを回収する責任が棟梁にはある。
さて、話し戻ります。
つまりそのたくさーーーーんある責任のある中で
私、手元の責任て微々たるものなんですよ。
棟梁が完璧と思う到着点がどこにあるのかは
私にはわかりませんが
一人でできる穴をあける作業をわざわざ2人でやる
というそれだけの事に
昨日や今日の記事に書いたような
斯様な棟梁の重圧や、
俯瞰して見た時に極めて合理的な要素が
詰まっているんです。
と言いたかった四代目です。
"一人でできる"ということにこだわるのは
ただの"頑固"ではないかい?
と思うのです。
四代目 ゆーき